私の生まれた福井県越前市(旧武生市)に帰郷するたび、街中が寂しくなっていく状況を目の当たりにすることはとても悲しいものです。子供の頃の記憶のあの輝いていた街と今の状況との違いを知ると、もうため息も出ないほどです。
このような街と地域の盛衰、有為転変は地方都市だけではなく、大都市の中や日本中のいたる所でおこっているのですが、変化を柔軟に、あるいは積極的に受け止めて、今も街の賑わいを保っている街が数多くあることも私達は知っているのです。
私(北畑)が最初に師事した(株)恒設計の今井恒吉氏は、面接に訪れた私の履歴書を見て、私が武生市出身であることを知り、「武生は水のきれいな本当に美しい街だね」と話し、今井氏が岡設計勤務時に武生市の電報電話局の担当であり、何度も現地を訪れたことの話や武生の情景を懐かしむだけで、 持参した卒業設計などを見ることもなく なぜかその場で採用が決まったのです。
これは、昔の美しい武生の情景と風景が私を今の設計の道に歩むように応援してくれたとも言えるのです。

この旧電報電話局の近くにある料亭「多葉喜」の再生について少しずつ考えていきたいと思います。
先日、この建物の中に入り、雨漏りの個所がないかと調べた後、窓辺に立って霧に包まれる村国山を眺めていました。ふと1階の松の間においてある大きな屏風に目が留まり、風を通したほうがいいかと思い一人でこの屏風を広げてみたのです。
大胆な筆使いで皆がよく知る和歌が書かれていました。
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせず よみびとしらず
【この無常の生滅滅已(しょうめつめつい)の奥山を乗り越えて、もはやはかない夢を見ることもなく、惑うこともない、、、、】
私はこの料亭「多葉喜」の亡くなった主人が、「今の世の現状を見ろ 、お前たちにいったい何が出来ようぞ?」と𠮟咤激励されたように感じたのでした。
